c春の風がふと吹いたとき、なぜか“恋のはじまり”を感じてしまうのはどうしてだろう。
見知らぬ場所で出会った彼と彼女。まだ何も知らないはずなのに、心のどこかがざわめいていた。
そんな瞬間に流れてきたのが──幾田りらさんの新曲「恋風」。
『今日、好きになりました。ニュージーランド編』では、広大な自然と静かな感情が織り交ざるなかで、この主題歌が何度も登場し、視聴者の心に“恋をする”予感をそっと届けてくれていました。
一見するとただのBGMに見えるこの一曲。けれど、旅の始まり、視線の交差、そして言葉にならない想いの隙間に、この「恋風」は確かに存在していたのです。
今回は、この楽曲がどんな瞬間に流れ、なぜ心に残ったのか。
そして、幾田りらというアーティストが“今日好き”という恋愛リアリティーショーにおいて、なぜこれほど深く響く存在となったのかを、丁寧に紐解いていきます。
✔️挿入歌: 幾田りら「スパークル – From THE FIRST TAKE」
✔️楽曲リリース日: 2025年4月7日
✔️配信: ABEMAオリジナル(月曜22時)
✔️出演メンバー: ひかる・ももな・ゆうせい ほか
『今日好きニュージーランド編』主題歌は幾田りら「恋風」|“予感”の春に流れた新曲
出典:Youtube(幾田りら Official)
恋のはじまりには、決まって“何かが動き出す音”がある気がします。
『今日好きニュージーランド編』では、そんな繊細な予感を音にしてくれる主題歌がありました。
幾田りらさんが歌う「恋風」は、まだ恋とは呼べない関係の中で芽生える“心のざわめき”にそっと寄り添ってくれる一曲。
ここでは、その旋律がどんなシーンと重なり、なぜ視聴者の心に残ったのかを紐解いていきます。
春風のような歌声が告げた“恋の始まり”
空港に集まった高校生たちが、ぎこちなく名乗り合うあの冒頭。
どこか緊張した空気のなかで、遠くからそっと流れてきたのが「恋風」でした。
まだ「好き」と呼べる感情が生まれる前──
名前も知らない相手に、でもどこか惹かれてしまう。その“理由のないときめき”に、この曲はぴったりと重なっていたのです。
幾田りらさんのやわらかな歌声は、まるで春の風のよう。
派手ではないけれど、静かに心に入り込んできて、いつの間にか感情の奥を優しく撫でていく。
それはちょうど、“まだ恋とは言えない気持ち”が芽生える瞬間のようでもありました。
今日好きの“出会い”の場面に「恋風」が選ばれたのは、偶然ではない気がします。
この一曲が、「今、恋が始まろうとしているよ」と、視聴者にそっと知らせていたのだと思います。
まだ“恋心”と呼べない感情に寄り添って
ニュージーランド編では、物語の序盤から「恋風」が頻繁に登場していました。
とくに印象的だったのが、バスの中や初日の観光地での静かな時間。言葉は少なくても、カメラが捉える表情や視線に“何かが始まりそうな予感”がにじんでいた。
そうした瞬間に流れる「恋風」は、登場人物たちの“未完成な感情”をそのまま旋律にしたようでした。
気になっている。でも、まだ言葉にできない。そんな揺れの中にいるとき、幾田さんの声がそっと背中を押してくれているように感じられたのです。
たとえば、ひかるがももなに目を向けるときの、一瞬の視線。
ゆうせいが言葉を選びながら距離を縮めていく場面。
「恋風」は、そういった“何も起きていないようで、確実に心が動いている瞬間”に、静かに流れていました。
この曲の魅力は、まさにそうした“言葉にならない気持ち”に寄り添ってくれるところ。
それが、視聴者の心に深く残る理由なのかもしれません。
“沈黙”と“視線”が語る恋|恋風が補完した感情の余白
声に出さなかった言葉、そらされた視線──
『今日好きニュージーランド編』では、そんな“静かな感情”が印象的に描かれていました。
とくに注目したいのは、沈黙のなかにそっと流れる「恋風」の存在。
ここでは、言葉よりも深く感情を伝えてくれるこの主題歌が、どのようにふたりの関係性をつないでいたのかを見つめていきます。
水族館での沈黙に宿る“好き”の気配
ニュージーランド編の中盤、視聴者の心に深く残ったのが、水族館でのシーンでした。
ライトに照らされた水槽の前で、並んで立つふたり。言葉はほとんど交わさず、ただ静かに視線を泳がせる──そんな場面で、ふいに流れてきたのが「恋風」でした。
誰もが経験したことのある“沈黙の時間”。
でも、それは気まずさではなく、むしろ心が震えるような静けさ。
あの瞬間に流れる「恋風」は、言葉にならない想いを代弁するように響き、ふたりの間にある“好きの気配”をそっと可視化してくれていたようでした。
旋律が入ることで、ただの無言の時間が「特別な意味を持つ時間」に変わる。
音楽の力をあらためて感じさせてくれる名シーンだったと思います。
心理的距離を縮めた音楽の存在
恋愛リアリティーショーでは、「いつ言葉にするか」「どんな表情を見せるか」といった“間”がとても大切です。
その中で、「恋風」は心理的な橋渡しのような役割を果たしていました。
愛着理論の視点から見ると、不安型の人は沈黙を「拒まれたかもしれない」と感じやすく、逆に安心型は「ただ落ち着いている時間」と捉える傾向にあります。
そういった“捉え方の差”がすれ違いを生むこともあるけれど、そこに「恋風」が流れると、どちらの心もそっと落ち着くような作用があるのです。
実際、言葉を選びながら距離を詰めていくシーンでは、「恋風」が流れることで場の空気がやわらぎ、ふたりの“間”にある温度が視聴者にも伝わってきました。
ただ沈黙するのではなく、そこに“感情の温度”があると気づかせてくれる。
それが、この楽曲が持つ繊細な力のひとつなのだと思います。
同じ主題歌「恋風」でも、印象が違う理由|マクタン編との比較考察
『今日好き』シリーズでは珍しく、2シーズン連続で同じ主題歌「恋風」が使用されました。
マクタン編とニュージーランド編。
同じ曲でありながら、流れた瞬間に感じた“印象”や“温度”はまったく違っていたように思います。
ここでは、それぞれの編で「恋風」がどう物語に使われ、視聴者の感情にどんな作用を与えていたのかを比較しながら読み解いていきます。
“余韻”のマクタン、“予感”のニュージーランド
マクタン編では、恋の結末に「恋風」が重なることが多くありました。
たとえば、さらがしゅんに想いを伝える告白の直後や、選ばれなかった恋がそっと終わる場面──
旋律はまるで“さよならを優しく包む音楽”のように響き、視聴者の胸に残る余韻を与えてくれていました。
一方で、ニュージーランド編では「恋風」はむしろ物語の“序盤”に多く使われていました。
まだ誰も想いをはっきりとは伝えていない、そんな“静かな恋の目覚め”のタイミングで流れてくるのです。
同じ楽曲でも、“どのタイミングで流すか”によって、これほどまでに印象が変わる。
編集や演出の繊細さを感じさせる、象徴的な使われ方だったと言えるでしょう。
演出と編集で変わる楽曲の“音楽表現”
映像と音楽は、感情の温度を決める“セット”のようなもの。
マクタン編では、切ない表情や涙に「恋風」が重なり、聴き手の記憶に“失恋”のニュアンスを残しました。
対してニュージーランド編では、透き通った自然風景や出会いの瞬間に「恋風」が流れることで、楽曲そのものが“新しい恋の予感”を象徴する存在になっていたのです。
同じ主題歌でも、シリーズごとに物語と共鳴するポイントが異なる。
それこそが、『今日好き』が“音楽で恋を語る番組”として高く評価されている理由のひとつだと思います。
💫 マクタン編での「恋風」考察はこちら
→ “選ばれなかった恋”が、風になって残る理由
幾田りらの歌声が“今日好き”に選ばれる理由
『今日好き』シリーズでは、幾田りらさんの楽曲が主題歌・挿入歌として繰り返し起用されています。
それは単なる話題性や人気アーティストだからではなく、“恋に不器用な高校生たち”の感情に、彼女の歌声がぴったりと重なるから。
ここでは、幾田さんの表現力と音楽性が、なぜ『今日好き』というリアリティーショーと親和性が高いのかを掘り下げていきます。
“未完成な恋心”にそっと寄り添う声
幾田りらさんの歌声には、まるで手紙のようなやさしさがあります。
強く主張するのではなく、そっと語りかけるように、でも確かに感情を届けてくれる声──それは、高校生たちがまだ上手に気持ちを伝えられない“恋の途中”にぴったりなのです。
「好きって言っていいのかな」「もう少し様子を見ようかな」
そんな“揺れている感情”を、そのままメロディに乗せてくれるような歌声は、視聴者の共感を自然と呼び起こします。
とくに「恋風」は、恋を始めるときの“こわさ”と“ときめき”の両方を、静かに抱きしめてくれるような一曲。
その表現力は、まさに“今日好き”という番組の空気とぴったり重なっていました。
THE FIRST TAKEの表現力と“リアリティーショー”の共鳴
出典:Youtube(THE FIRST TAKE)
挿入歌として使用された「スパークル – From THE FIRST TAKE」もまた、幾田りらさんの“素の声”が際立つ楽曲でした。
THE FIRST TAKEのスタジオで収録されたバージョンは、装飾を最小限にしたピアノ伴奏と一発録りの緊張感が特徴。
それが逆に、等身大の感情を浮き彫りにし、視聴者の“自分の気持ちと向き合う時間”に自然と重なっていくのです。
リアリティーショーで描かれるのは、編集された物語だけでなく、ほんの一瞬の揺れや間。
その“余白”を埋めてくれるのが、幾田さんの透明で揺らぎある声なのかもしれません。
SNSで話題に|「恋風」に涙する理由
『今日好きニュージーランド編』の放送後、X(旧Twitter)やYouTubeのコメント欄には、「恋風」にまつわる感想があふれました。
ただ“いい曲”というだけではなく、「泣いてしまった」「自分の恋と重なった」といった“感情の揺れ”が多く語られていたのです。
ここでは、なぜこの一曲がここまで人の心を動かすのか、その背景にある理由を紐解いていきます。
“あのシーンの感情が蘇る”という声
音楽には、記憶を呼び起こす力があります。
とくに「恋風」は、番組内の“とくべつな感情の時間”に繰り返し流れたことで、聴くたびにそのシーンを思い出すような効果を生んでいます。
Xではこんな声も──
「恋風が流れると、自然とあの水族館の場面が浮かぶ」
「初日のぎこちない笑顔を思い出して泣けた」
これはまさに、音楽と記憶がセットで脳に刻まれる“エピソード記憶”が働いている状態。
番組を通して感情が動いた瞬間に「恋風」が流れたからこそ、聴くだけで感情が揺れる──そんな“心のリンク”が生まれているのです。
“選ばれなかった自分”に重ねた視聴者たち
さらに「恋風」は、歌詞のなかに“報われなかった想い”や“伝えきれなかった恋心”を感じさせるフレーズが多く散りばめられています。
視聴者のなかには、自分の過去の恋と重ねて涙した人も多く──
「あのとき言えなかった“好き”を、この曲が代わりに伝えてくれてる気がする」
「誰にも言えなかった気持ちが“恋風”に込められてる感じ」
幾田りらさんの声と旋律は、そんな“心の奥にしまっていた感情”にそっと触れ、解きほぐしてくれる存在だったのかもしれません。
🧠もし私だったら──
もし私が、“恋風”が流れるあの場面にいたとしたら。
たぶん、彼女たちのように素直に「好き」とは言えなかったかもしれない。
沈黙が怖くて、距離を詰められるのが嬉しくて、不安で、それでも期待して──
そんなぐちゃぐちゃな気持ちを、ただ笑ってごまかしていたと思う。
『今日好きニュージーランド編』を見ていると、恋ってやっぱり勇気がいるなって思わされる瞬間がたくさんありました。
だからこそ、恋風が流れるたびに感じたんです。
「あのときの自分も、きっとあんなふうに、誰かの前で震えていたんだな」って。
もう過ぎ去ったはずの記憶に、旋律がそっと触れる。
それはどこか心がざわめく感覚でもあり、同時に「ちゃんと好きだったんだよ」と、過去の自分を肯定してくれるような感覚でもありました。
もしあの旅に私がいたら──
「好き」と伝える勇気は、やっぱりまだ出なかったかもしれないけれど、
それでも、心の中ではきっと「恋風」が吹いていたと思うのです。
🎞️しおりの記憶帖|過去シリーズと“恋×風”の共通点
「恋風」というタイトルが象徴するように、今シーズンの『今日好き』には“風”を思わせる描写がたくさんありました。
でも実は、過去のシリーズにも「風」が恋を運んできたようなシーンがいくつかあったのを、ふと思い出しました。
たとえば、韓国編では、夕暮れの海辺で風が吹く中、ふたりが並んで歩いていたシーン。
言葉は少なかったけれど、風の音と空の色が感情をすべて語っていたように感じたんです。
また、セブ島編では、浜辺で交わされた会話のあとに、後ろ姿を見送る風景が印象的でした。
画面には風が映っていたわけじゃないけれど、「ああ、この恋は今、どこかへ流れていったんだな」って、静かに感じることができた。
『今日好き』という番組は、ただ会話や告白で恋を描くのではなく、
“空気”や“間”──そして「風」までも使って感情を届けてくれるんだと、あらためて思います。
恋って、どこか掴みどころがないからこそ、「風」というイメージがよく似合う。
今回のニュージーランド編でも、その“見えない何か”が画面越しに感じられて、胸がきゅっとなる瞬間が何度もありました。
まとめ|「恋風」が吹いた日、恋が始まった
『今日好きニュージーランド編』で流れた幾田りらさんの「恋風」は、単なる主題歌ではありませんでした。
それは、高校生たちの繊細な感情を包み込み、視聴者の記憶に“出会いの空気”をそっと残していく、
まるで風のような存在。
恋をする前のざわめき、沈黙の中に宿る気配、名前も知らない相手に惹かれる瞬間──
そんな“まだ始まっていない恋”に、あの旋律は寄り添っていました。
そして、ふとした瞬間にこの曲を聴いたとき、きっと私たちは思い出すのです。
あの春、あの風、あの画面越しの恋。
音楽は、恋の記憶を運ぶタイムカプセル。
だからこそ「恋風」は、これから先もずっと、わたしたちの心に残り続けるのでしょう。
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